大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和44年(ワ)1371号 判決

原告

河原松代

外四名

右五名訴訟代理人

陶山和嘉子

外五名

被告

株式会社夏目呉服店

右代表者

夏目キミ

右訴訟代理人

上村恵史

外一名

主文

一  被告は原告らに対し、別紙物件目録記載の建物に附属のコンクリート土台、柱一四本、鉄製梁四本、屋根上のシートとこれを支える角材並びに板、側面の戸板、雨戸その他の附属物一切を収去して、右建物を明渡せ。

二  被告は原告河原松代に対し、昭和四四年七月一日以降前項の建物明渡ずみに至るまで一ケ月につき金一、六六七円の割合による金員を、その余の各原告に対し、それぞれ、同日以降同明渡に至るまで一ケ月につき金八三三円の割合による金員を支払え。

三  被告は原告河原松代に対し、金六万円及びこれに対する昭和四七年一〇月一四日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を、その余の各原告に対し、それぞれ、金三万円宛及びこれに対する同日以降同割合による金員を支払え。

四  原告らのその余の請求は棄却する。

五  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告ら

「1被告は原告らに対し、別紙物件目録記載の建物に昭和四四年六月一二日以後新に附属せしめたコンクリート土台、柱一四本、鉄製はり四本、屋根上のシートとこれを支える角材及び板、南壁面の戸板六枚、その他一切の附属物を収去して、右建物を明渡せ。

2 被告は原告らに対し、昭和四四年七月一日より右明渡ずみに至るまで毎月末日限り一ケ月金三万五、〇〇〇円の割合による金員を支払え。

3 被告は原告らに対し、金二三万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

4 訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並並びに仮執行宣言。

二、被告

「1 原告らの請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。」

旨の判決。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  別紙物件目録記載の建物全体は二戸建一棟で、本件建物は、その一部(同物件目録添付図面青線内の部分)である。右建物全体は、もと原告河原松代の亡夫河原光治の所有に属し、昭和二六年中、同人の死亡に因る共同相続によつて、妻子である原告らが所有権を共同取得したものである。

亡光治は昭和二四年五月被告に対し、本件建物を店舗(家具売場)として改造することを承諾して、期間の定めなく、賃料一ケ月金五〇〇円の約で賃貸し、原告らは、右共同相続によつて、その賃貸人たる地位を承継した。賃料はその後月額金二、〇〇〇円になつた。

2  被告は賃借と同時に一部店舗一部住居用の本件建物を全部店舗に改造し家具販売店舗にしたのであるが、昭和四四年六月初旬原告らに対し、本件建物の表戸、看板、屋根の修理をしたい旨申し入れて来たので、原告らはこれを承諾したところ、被告は申入れの趣旨を超え、同月一二日、本件建物南側の外側及び西側と北側の内側に、コンクリート土台を築き、西南隅の壁を破壊し、建物内部の畳をはずしその床を取壊し、同月二二日から二三日にかけては、右コンクリート土台の上に一五センチ角の柱一四本建て、鉄骨の梁四本を渡し、南側壁を全部破壊し、土間にはコンクリート舗装をする等して、従前の建物と別の全く新しい建物に建替えようとした(別紙図面赤斜線部分参照)。これらの行為は、申入れの建物修理とは無縁の建物破壊行為であつて、賃借人として負うべき善良なる管理義務に違背する著しい背信行為であり、建物賃貸借関係における信頼関係を根底から否定したものである。

3  そこで、原告らは昭和四六年六月二四日付内容証明郵便をもつて被告に対し、賃貸借契約を解除し、右書面による意思表示は同月二七日被告に到達した。

4  しかるに、被告は本件建物を占有してこれを原告らに明渡さない。そのため原告らは国鉄横浜線長津田駅前繁華街に所在する本件建物を改築して賃貸することによつて得べき賃料収入を逸失することにより、右賃料相当額である一ケ月金三万五、〇〇〇円の割合による財産上の損害をこうむつている。

5  被告の前記破壊行為により原告らは、本件建物所有権を侵害され、見積額金二三万円の損害を被つた。よつて、被告の不法行為に対し、民法七〇九条にもとづいて、右損害の賠償請求権を有する。

6  よつて、原告らは被告に対し、(一)被告が昭和四四年六月一二日以降本件建物に附属せしめた物件の収去、本件建物の明渡及び(二)同年七月分以降明渡ずみに至るまでの賃料相当額の損害金の支払並びに(三)不法行為による損害金二三万円の賠償支払並びに請求の趣旨変更申立の日の翌日たる昭和四七年一〇月一四日以降の民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、答弁

1  請求原因事実に対する認否

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 請求原因2の事実中、賃借当初の改造及び昭和四四年六月の修築工事の大略の内容は認めるが、その余は否認する。

修築は原告らの承諾を受けたものである。すなわち、本件建物は昭和三九年頃から屋根の朽廃が著しく全面的に雨漏りがし、屋根上の看板も朽廃して落下の危険があり、また表戸の老朽のため戸締りができ難くなつたので、被告会社代表者夏目キミは度々原告らに修築を申入れたが実現しないので、昭和四四年六月七日、大工の訴外雨平礎次をともなつて原告らを訪ね、屋根・看板・表戸の修理をしたい旨申入れたところ、原告河原松代は、「建物を自分らの方で使いたいから、余り金をかけないで下さい。」と言つて承諾した。被告代表者夏目キミは同月一二日(工事着手の日)に再び原告ら方を訪れ、原告河原松代に対し、「(1)表通りに面したところは柱を長くして上の部分に看板をつけること、(2)屋根は片流れ方式に変えること、(3)土台をコンクリート土台に替え土間にコンクリート舗装をすること。」等、工事内容につき説明を加えた。これに対し原告河原松代は、「三年後に本件建物を息子に使わせたいから余り金をかけないで欲しい。」旨述べたので、被告代表者夏目キミは、「明渡のことは相談できめるべきこと、明渡の時には工事に使う鉄骨等の材料は原告らの要求があれば被告の方で引き取る。」旨を告げ、松代はこれを了解した。従つて、本件修築工事は原告らの同意を得たものである。

(三) 請求原因3の事実は認める。

(四) 同4の事実は争う。

(五) 同5の事実のうち、被告が本件建物を現に占有していることは認め、その余の事実は否認する。

2  抗弁

(一) 解除は無効である。

(1) 被告に善管義務の違反はない。

被告のなした本件改修工事は、本件建物を家具売場として保管使用するために必要且つ止むを得ない雨漏防止工事であつたのであり、本来修繕義務ある原告らが修繕しないので止むなく原告河原松代の承諾を得て被告自らの費用で、専門大工の判断に委せて、必要止むを得ない限度で工事したものである。

(2) 信頼関係の破壊はない。

仮に被告の工事内容が原告らの承諾した範囲を超えていたとしても、本件建物使用は、昭和二四年当初から被告の方で賃貸借の本旨として全面的に改造したことは双方の認識するところであり、加うるに、本件工事が雨漏防止、看板取替え、戸締り工事であるという基本趣旨につき原告らの承諾はあつたのであるから、建物賃貸借における信頼関係は未だ破壊されたものということはできない。

(二) 解除権の濫用

仮にそうでないとしても、本件工事はいわば要急事態についての自救行為であつて、原告らが承諾したとする工事内容をもつてしては、必要止むを得ない工事をゆるさないに帰し、被告に無意味な工事を無理強いするものに他ならず、原告河原松代は、詐術的に承諾を与えて改修させ、その改修を理由として、契約を解除し、被告に営業上の大損害を加えるものであつて、本件解除は解除権の濫用である。

(三) 造作買取請求並びに必要費、有益費償還請求

(1) 被告は、昭和二四年頃、もと住居用であつた本件建物を賃借当初、賃貸人であつた亡河原光治の承諾を得て家具売場用店舗に改修し、(イ)柱、壁、床等取毀し除去、柱、土台、土間コンクリート舗装、(ロ)窓硝子戸、(ハ)雨戸、(ニ)電灯設備及び電気引込線、(ホ)看板、表示板、(へ)天井及び壁の塗装等借家法五条所定の各造作を附加し、特に民法六〇八条所定の有益費又は必要費として、(a)北側入口部分以外の柱全部の取替え工事費用、(b)土台入換工事費用、(c)屋根葺替工事費を各支払した。この造作附加によつて居住用から店舗に改修したことは、有益費及び必要費を支出したことになるのであつて、その後の長津田駅前商店街の発展に伴い、建物の使用価値を増大させ、さらに原告らの投下した宣伝費その他の資本によつて、家具部だけでも年間金一、三〇〇万円以上の販売収入があるに至つたのである。この無形の利益は、金五〇〇万円以上と評価される、いわゆる「のれん」と称すべく、たとえ前記の造作が有形的には現存しなくなつているとしても、借家法五条所定の造作の一種が無形の変形を遂げて現存しているものと解するのが相当である。

(2) よつて、被告は原告らに対して、右造作の買取とりと有益費又は必要費の償還として合計金五〇〇万円の支払を請求し、その支払あるまで本件建物の明渡を留置する。

三、抗弁に対する原告らの認否及び主張

1  抗弁事実は全部否認する。

2  被告主張の造作は、昭和四四年六月被告のなした改築工事によつてすべて取払われて、現存しない。また、昭和二四年改造当時において、何ら有益費又は必要費というべきものはこれを支出していない。

第三  証拠〈略〉

理由

一本件建物賃貸借

1  本件建物が、もと訴外亡河原光治の所有に属し、昭和二六年中、同人の死亡による共同相続に因つて、妻である原告河原松代及び子らであるその余の原告らがその所有権を承継取得したものであること、亡光治が昭和二四年五月頃被告に対し、本件建物(二戸建のうち一戸部分)を、被告において店舗用に改造することを承諾して、期間の定めなく、賃料月金五〇〇円の定めで賃貸し、原告らが右相続に因つてその賃貸人たる地位を承継したことは、当事者間に争がない。

2  右賃借のとき被告が、当時居宅兼店舗用であつた本件建物全部を家具売場として造作替えしたことは当事者間に争がなく、〈証拠〉を綜合すれば、被告は本件建物と道路を距てた向側の店舗で呉服商を営み、本件建物は家具部の売場として家具販売業をも営んでいること、原告河原松代は同じ道路(国電横浜線長津田駅南口商店街の一画の中の道路)に接面し、被告の呉服店舗と筋向いで煙草、菓子類販売業を営んでいることが認められる。

二紛争発生の経緯

1  原告らの本件建物明渡請求の調停申立と不調。

〈証拠〉を綜合すると、原告らは、昭和三四年夏目キミの夫夏目雪光が死亡すると、被告に対し、本件建物明渡を求めて調停を申立て、昭和三七年頃まで繋属したが結局不調となつて、両者の間にしこりを生ずるに至り、その間に賃料増額の話も出て、当時の賃料月金二、〇〇〇円を月額金五、〇〇〇円に増額する合意が成立しようとしたが、これも結局不成立に終わつて、かえつて原告らの賃料受領拒絶を招来し、被告は爾後供託を続ける事態となつたことが認められる。

2  本件建物の腐朽化。被告の改修工事申入と原告らの態度。

〈証拠〉を綜合すると、次の事実が認められ、この認定を左右すべき証拠はない。

(一)  本件建物は、亡河原光治がその亡父一平から贈与を受けた古い建物で、被告に賃貸後の昭和二六年頃光治がトタンをもつて屋根張替えをしたことがある。昭和四一年頃からトタンが傷んで雨漏りするようになり、昭和四四年にかけて、屋根上の看板と腐朽した支え木のため、雨水の流下が妨げられて屋根のトタン腐朽と雨漏りがひどくなるとともに看板自体も落下の危険を生じたほか、表戸と敷居が傷んで戸締りが出来なくなつて来た。雨漏りのときは、商品の家具類の位置を移動したり、天井から滴下する水を容器で何箇所となく受けたりせねばならなくなり、土間に(嘗て本件建物を魚屋に賃貸していたことがあつて、一部はコンクリートで覆つてあつたが、土の部分もあつた)水がたまる有様で、水はけがわるく、柱も腐蝕し、床板や畳や羽目板も傷み、商品の保管陳列や営業に障碍を生ずるようになつた。

(二)  被告代表者夏目キミは、原告河原松代に対し、このような状態を訴えて改修工事を申入れたが、同原告は、前叙の確執があつて、明渡請求の態度を固執し、次男がやがて高校卒業するので、これに使用させたいとして、被告が自費で工事することをも承諾せずに経過した。昭和四四年六月七日頃、雨期を迎えて耐えかねた夏目キミは、大工の雨平礎次に相談し見積りを依頼し、同人を同行して原告河原松代を訪ね、「被告の自費による雨漏り防止の屋根工事、看板取替え、戸締り工事をさせてくれるよう」申入れたところ、原告河原松代はこれを承諾したが、「金のかかる大きい工事はしないでくれ。何度もいうように次男を入れたいので、近く明渡してほしいのだから。」と念を押し、その際キミからも雨平からも予定された工事内容の詳細は話されなかつた。

三被告の予定した改修工事内容と施工状況

1  〈証拠〉を綜合すれば、被告の本件改修工事の予定内容は、建物内部の床部分の床板を除去し、畳を取捨て、全面的に土間として、全部をコンクリート舗装とし、西側の壁及び南側の壁を除去し、別紙目録添付図面赤斜線部分に表示のごとく、北側(隣戸との境)と西側及び南側の三面コの字型にコンクリート土台を築き(但し、南側土台は建物の外側に張出して設ける)、これらのコの字型土台を基礎として、新たに一五糎角の柱一四本を立て(隣戸の境の共通の柱は現存の古い柱はそのままとす)、桁をも新たに張り、鉄骨の梁四本を渡し、屋根は従前の両流れ方式を亜鉛鋼板葺片流れ方式に改め、道路に接面した表側(東)を高く、奥(西)に向けて低く傾け、天井、壁を張替え、表戸はシャッターに直す、というもので、見積り工事費金七九万円であつた。

2  被告が昭和四四年六月一二日着工して予定工事を進めたことは当事者間に争いがない。そして、〈証拠〉によれば、原告らは同月二三日工事禁止の仮処分を得て執行したが、屋根が破壊されたまま未完成で、資材で固定されたシートをもつて覆蔽され、壁(西側及び南側)及び羽目板が除去されたままで戸板が打つけられ、表正面(東側)のシャッターが未完成で応急の雨戸が設けられたほかは、予定工事が進行し、従つて、仮処分執行時の原状はほとんど破壊されていたことが認められる。

四原告らの承諾

〈証拠〉を綜合すると、昭和四四年六月一二日工事着工直後、物音を聞きつけて現場に赴いた原告河原松代の長男である原告河原光一の要請により、原告河原松代宅に来た被告代表者夏目キミと施工大工の雨平磯次に対し、松代は重ねて、亡夫の死後、女手一つで四人の子らを育てた苦労と、「本件建物を次男に使わせたい」旨を述べ、金をかけた大きい工事をしないよう、従前からの態度を一貫させて釘をさしたことを認めることができ、右認定に反し、キミが予定工事内容を説明して松代がこれを承諾した旨の被告代表者夏目キミの供述は、弁論の全趣旨に照らして、措信できず、他に右認定を覆えすべき証拠はない。

2 以上の二以下に認定した全事実を綜合して判断すると、被告の改修工事は、雨漏り防止、看板付替、戸締改修の目的については原告らの承諾(原告らの一家の事情から松代の承諾に係つていた)するところであつたが、その方法たる工事の規模、程度については、その承諾するところを遙かに超える抜本的な大改修工事であり、完成すれば、その造作の如何にによつては店舗の積極的新装ともなり、ほとんど新築同様の改築となり、建物の耐用年数をも大きく延長し、原告らが多年にわたり忍苦の末の一家境遇の打開に本件建物を自家使用しようとする意思と希望とを表明していることを認識しながら敢えて無視したものである。建物改修については、その目的と方法との両面にわたり承諾があつてこそ、承諾があつたとすべきが相当であるから、被告の本件改修工事について原告らの承諾はないものと認めるべきである。

五建物善管義務違反ないし信義則違反と賃貸借契約解除

1  本件における雨漏り防止(看板付替を含む)工事は、前認定の二の2の(一)のような建物の腐朽状態であるから、たとえ原告らが家主としての修善義務を履行しようとしないでも、被告の予定する工事方法を承諾する限りは、抜本的な工事としてそれなりに合理的なものであるけれども、原告らが、その規模、程度を知らないで、ただ工事目的は承諾するが抜本的改修工事を嫌う旨を、原告ら一家のそれなりの事情を述べつつ表明し、結局承諾があるといえない以上、いかに原告らが一方的に明渡要求の態度を固執する紛争状態の中にあること前認定のとおりであつても、被告の方で、これに対抗して、家主の意に反して一方的に、ほとんど新築に等しいような改修工事の挙に出ることは、建物賃借人として当然にゆるされるものとはいえない。右のような紛争状態下の賃借人たる被告としては、それ故にこそなおさらに原告との間に、必要にして止むを得ない改修方法につき具体的に協議に努め、仮に方法について協議が調わないときも、修補に止めることを基本に、可能な限り目的に適つた屋根工事方法を採るを、信義則上、また賃借人の建物善管義務上相当とする。

建物腐朽に即応した雨漏り防止目的の工事として、被告の予定工事の他には、採るべき方法がないにかかわらず、原告らが被告に対し、大工事にならないようにと要求したことによつて、事実上不可能な改修を強いることによつて現実には改修を不可能ならしめたとすべき特段の事情は、本件全立証によるも、これを認めることはできない。建物腐朽を防止する結果さえあれば、どのような内容の改修工事を一方的に行つても、建物賃借人の賃借物善管義務に違反しない、といえないことは、多言を要しない。

ひつきよう、被告は、未だ維持されていた信頼関係を自ら破壊し、建物賃借人の善管義務に違反し、建物賃貸借における信義則に違反したものというべきである。

2  そして、原告らが昭和四六年六月二四日付内容証明郵便をもつて被告に対し本件建物賃貸借契約を解除し、右意思表示は同月二七日被告に到達したことは、当事者間に争がないから、右解除効は有効に発生したものというべきであり、解除権濫用の被告主張は採用することはできない。

六原告らの建物明渡請求権

よつて、被告は原告らに対し、本件建物を明渡すべき義務を負うに至つたものであるので、次に進んで、被告主張の留置権の抗弁について判断する。

1  造作の買取請求について。

被告主張に係る、昭和二四年本件建物賃借当初に被告の附加した店舗造作は、前認定事実によれば、被告自らの改修工事の手によつて破壊したもので、現存しないのであるし、また被告主張の「のれん」価値は、これら造作された店舗の経営と駅前商店街の発展とともにもたらしたものではあつても、有形的造作そのものが変形し無形化していわゆる「のれん」となつたものとはいいがたい。

よつて、被告の主張は失当である。

2  有益費、必要費について。

(一)  本件建物賃借当初の店舗向け工事は、賃貸借契約の本旨として、費用被告負担の合意の下になされたこと冒頭認定のとおりであるから、その所要費を必要費として請求することは失当である。

また、昭和四四年六月の本件改修工事は、前認定のごとく違法であるのみならず、工事禁止の仮処分により、客観的には建物を破壊したに止まり、建物保存上の必要費は全たく認められない。

(二)  仮に賃借当初の造作附加による有益費が発生していたとしても、本件改修工事によりその造作を自らの手で破壊し現存しない。また、本件改修工事は前認定の状態で完成せず、未だ造作と見るべきものも生じていないのであつて、本件建物の改修による増価は発生していない。被告の主張する有益費の請求はすべて失当である。

3  よつて、被告は本件建物につきその主張の留置権を有せず、その抗弁は失当である。

七附加物の収去請求権

前認定の本件改修工事の現況によれば、右工事によつて破壊された本件建物に附加された前認定の諸物件は、未だ隣戸を含む本件二戸建長屋に附加して一体となつてはおらず、適宜収去が可能であることが認められ、またその現存は原告らの本件建物共有権を侵害していること明らかであるから、原告らの収去請求は正当である。

八建物不法占有に因る損害の賠償請求権

1  被告が本件改修工事の中絶された本件建物の占有を継続していることは当事者間に争がなく、賃貸借契約の解除の発効により、その正当占有権原を失い、爾後不法占有となつたことは明らかであるから、これによつて原告らの蒙る財産上の損害を賠償すべき義務があるところ、原告らは、本件建物を工事着工前の状態において他者に賃貸することないし自己使用することのできないことは勿論であるが、原告ら自らの手によつて改築改修して建物共有権の保持を全うすることを妨げられているのであつて、ひつきよう現状では、被告の不法行為によつて原状建物を使用できなくなつた状態に置かれ、それに因る損害を蒙つているものとして把握できるので、その損害額として、原状建物の賃料相当額を主張することは、条理に反せず、理由がある。

2  そして、被告の本件改修工事着工時の原状建物賃料について判断するに、証人野路実の証言、原告河原松代本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、前認定の調停に伴う賃料増額についての意見の接近経過に鑑み、また、二戸建隣戸の賃料が本件改修工事当時金五、〇〇〇円であることとも対比して、月額金五、〇〇〇円とすることが衡平上妥当であることが認められ、原告らが将来の事実に過ぎない改築完成を仮定的に現在化してその完成建物が現在するごとき賃料額月金三万五、〇〇〇円を主張することは失当である。

3  なお、原告らの右損害賠償請求権は分割金銭債権であつて、本件建物共有権における各持分は、冒頭認定の共同相続に因つて、妻たる原告河原松代が三分の一、子たるその余の原告四名がそれぞれ六分の一と認められ、右認定を左右すべき特段の事情は認められないから、原告松代は月額金一、六六七円(四捨五入)、その余の各原告はそれぞれ金八三三円(四捨五入)となる。

九建物改修不法行為による建物損害の賠償請求権

1  前認定の被告改修工事施行は、ただに建物賃貸借契約における債務不履行であるのみならず、また本件建物の原状を故意に失わしめその共有権を侵害した不法行為でもあるところ、被告改修工事による附加物件一切を収去したあと、原状がほとんど喪失したことによる本件建物自体の価値の減損ないし滅失が、即ち原告らの本件建物自体について蒙つた財産上の損害であるが、その損害額の算定については、次のように判断する。

すなわち、先づ、工事直前の建物の取引価値について直接的に認めることのできる十分の証拠はないので、これを基準にして減損ないし滅失額を算定することはできない。しかし、不法行為に因る損害賠償制度の理念は、加害者、被害者の衡平を図るにあることに鑑みると、原告らと被告との間においては、本件建物賃貸借の存続可能残存年数と賃料月額金五、〇〇〇円とから、両者間に妥当する建物の残存効用価値を算定し、この価値が被告の建物損壊による不法行為に因つて失われ且つ賠償されるべき利益と考えることができる。そこで、前に二の2の(一)において認定した本件建物の腐朽化の事実から判断して、仮に改修工事を全く加えないで推移したと仮定した場合、雨漏りによる腐朽の進行はかなり急速なものと推認され、これらの事実及び判断に〈証拠〉を加えて判断すると、賃貸可能の予想残存年数は、あと三年であつたと推定するのが相当と考える。右推定を左右すべき特段の証拠もない。

そうだとすると、前記損害額は、月額金五、〇〇〇円の割合による三年間の総額という方式によつて算定することとなり、その額は金一八万円であるから、原告らの請求は右限度で容認される。

2  本件建物改修工事とその後の建物不法占有とは一連の事実関係をなしているが、二個の不法行為から成り、前者による建物共有権侵害によつて生じた財産上の損害と、不法占有による財産上の損害とは、それぞれ別異独自のもので、ただ損害額算定の手段として等しく賃料相当額を基準に用いただけのことである。

3  そして、右損害賠償請求権も亦分割金銭債権であつて、原告らの持分は前認定のとおりであるから、原告松代は金六万円、その余の各原告はそれぞれ金三万円となる。

一〇結論

以上の次第であるから、原告らの本訴請求のうち、附加物件の収去及び残存建物の明渡請求、不法占有開始後である昭和四四年七月一日以降の不法占有による月額金五、〇〇〇円の割合による損害の賠償請求を各自の持分に応じて分割した金額の限度並びに不法改修工事による建物損害の賠償請求のうち金一八万円を各自の持分に応じて分割した金額及び請求の趣旨訂正申立書送達の日の翌日である昭和四七年一〇月一四日以降の民法所定の割合による遅延損害金の限度は、いずれも理由があるものとして認容すべく、その余の請求は失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用し、なお仮執行の宣言はこれを付せないことを相当と認め、主文のとおり判決する。

(立岡安正)

〈別紙図面省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例